第8回 アルツハイマー型認知症 とエストロジェンの関係
(2)アミロイドベータ蛋白の脳内増加は
エストロジェンの減少と関係
第7回ホルモン学講座を読まれた皆さんは、その講座の図2で、認知症の原因物質とされるアミロイドベータ蛋白が40歳代の後半から脳内に急増するのを見て、何を感じたでしょうか。
私はすぐに、平均50歳の閉経によって起こる血中エストロジェンの減少との強い関係を想像しました。
もちろん、この研究では男女での区別をしていませんので、女性だけについての検討は適当とは言えないでしょう。しかし、男性でも50歳からテストステロン分泌が減少してくることに関係した更年期があることを考えると(文献1)、男性ではテストステロンの減少に関係してアミロイドベータ蛋白の増加が起こることを想像させます。このことについては、秋下が論じています(表1、文献2)。
第8回講座では、まず、アルツハイマー型認知症の発症におけるアミロイド仮説とエストロジェンの役割についてお話しします。次いで、第6回講座でお話ししたアセチルコリン仮説とアミロイド仮説に接点があることをお話しします。
エストロジェン、とくに17ベータ-エストラジオール(E2)はアミロイドベータ蛋白の形成を抑える
エストロジェン、とくに17ベータ-エストラジオール(以下では、単に、エストラジオールと省略します)が、アミロイドベータ蛋白の産生経路の進行を抑え、結果として神経伝導障害や神経細胞死を抑える作用をもつことを示す研究が、殆どは動物実験においてですが、進んでいます。
第7回講座の図2を参照しながらお読みください。
まず、簡単にいうと、脳内のエストラジオールが欠乏したアルツハイマー病モデルマウスではアミロイドベータ蛋白の脳内蓄積が増強していることを示す研究結果があります(文献3)。一方、エストラジオールは、ベータセクレターゼ活性を抑制し、アミロイドベータ40とアミロイドベータ42の産生を抑え、さらに脳内への蓄積を抑えるということが報告がされています(文献4)。エストラジオールはアミロイドベータ蛋白をオリゴマーにすることも抑え(文献5)、さらにオリゴマーの毒性を抑えて神経細胞死を抑えるという作用もあるようです(文献6)。アミロイドベータ蛋白の毒性を抑える作用は、αエストロジェン受容体を介するそうです(文献7)。
これらのことからは、女性では、生殖期に維持されていたかなり高濃度のエストラジオールが閉経を境に脳内で低下するとアミロイドベータ蛋白が増加する、という図式が描かれることが分かります。
ただし、エストラジオールがアミロイドベータ蛋白の形成を抑えるメカにズムは明らかにされていません。
アルツハイマー型認知症の発症メカニズムにおけるアミロイド仮説とアセチルコリン仮説のドッキング
もう一つ大事な発見は、卵巣を摘除してエストラジオールを消失させたマウス脳内のアセチルコリン神経核(前脳基底核;ヒトのマイネルト基底核に相当;第6回講座参照)にアミロイドベータ蛋白のオリゴマーを注射すると、アセチルコリン神経細胞が死亡し、大脳皮質や海馬のアセチルコリン神経線維の数が減少することでした(文献8)。そして、この細胞の減少の割合は、オリゴマーの注射の前にエストラジオールを投与しておくと低下しました。これは、エストロジェンがオリゴマーの作用からアセチルコリン神経細胞を保護しているということを示します。
この最後の研究は、アミロイド仮説とアセチルコリン仮説を結びつけるものといえましょう。
女性では閉経によって血液中のエストラジオール濃度が低下するとアミロイドベータ蛋白が増加し、アセチルコリン神経細胞を攻撃する。そのため認知機能が低下し、認知症となる。これがアルツハイマー型認知症のメカニズムと考えることが可能でしょう。ただし、なぜ、特にアセチルコリン神経細胞が攻撃されるのかについてはこれからの研究課題でしょう。あるいは、もっと異なる神経細胞も攻撃を受けているのかもしれません。
ここに述べたようなメカニズムでは、当然、エストロジェンのレベル如何が認知症発症の鍵を握ることになるでしょう。もしかしたら、あまりアミロイドベータ蛋白が蓄積しないうちに、そしてあまり多数のアセチルコリン細胞が死亡しないうちに、エストラジオールの補充をすることが必要となるでしょう。
これは、このあと述べる、アセチルコリン神経細胞の活性化と保護にとっても必要な措置でしょう。
エストラジオールはアセチルコリン神経細胞を活性化し、そして保護する
メスラットの卵巣を摘除しますと、海馬内へ投射しているアセチルコリン神経からのアセチルコリン分泌量は激減しますが、エストラジオールを補充投与することで分泌が回復することを第6回講座でお話ししました。また、ラットで、前脳基底核のアセチルコリン神経細胞を化学物質で破壊すると大脳皮質に投射するアセチルコリン神経線維の数が減少しますが、破壊後にエストラジオールの投与を行なうと、神経線維の減少が見られませんでした(文献9)。そして、この研究では、エストラジオールはラットの認知機能も保持していました。
一方、20年以上も前ですが、上記のようにメスラットの卵巣を摘除しますと、海馬のアンモン角(CA1)という場所の錐体細胞と呼ばれる神経細胞の樹状突起の棘(とげ;神経細胞が情報を受け取る場所)の数が激減しますが、エストラジオール補充することで、棘の数が回復することが報告されていました(図1、文献10)。CA1は動物が学習するのに必要な場所です。ただし、このエストラジオール作用は、錐体細胞自体にはエストラジオール受容体が存在しないので、介在ニューロンにある興奮性の伝達物質であるグルタミン酸の受容体(とくにNMDA受容体)を増加させることによることが示されています(文献11)。
さらに40年近く前に、成熟したラットの海馬の歯状回というところで、神経細胞が新生されていることが報告されていましたが、長い間、学会では無視されてきました。ところが1990年代に入り、次々と、ラットだけでなく、ヒトやサルの海馬でも神経細胞の新生が起こることが報告されてきました。そして、とても重要なことに、この新生は、ラットにおいて卵巣摘除すると激減し、エストロジェンの補充によって回復することが明らかにされ、血中エストロジェンが高い時期には非常に盛んに行なわれることが示されたのです(図2 、文献12)。
海馬の神経細胞の新生については、その後の沢山の研究から、私たちが熱心に学習をしたり、運動したりしている時には、海馬に4-8ヘルツのシータ波という脳波が現れ、これが契機になって海馬の歯状回で神経細胞が新生される、という機序が分かってきました。学習や運動をすることで海馬に神経がつくられるといううれしい現象が起こるのです。一方、海馬のシータ波はアセチルコリンを海馬内に投与すると出現することも分かっていますので(文献13 )、やはり、女性ではエストラジオールがアセチルコリン分泌を刺激することで海馬細胞の新生が起こることが推測されます。
表1に、エストラジオールとテストステロンが認知症改善に働く作用をまとめておきます。2つのホルモンが全く同じ作用をもつことに注意!!
文献
*1.田中 冨久子。女の老い・男の老い。NHKブックス、2011
*2.2. 秋下 雅弘。テストステロンと認知機能。日本Men’s Health 医学会 News Letter. 2012. Vol 9.
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生物物理 2007. 47、S70;11-20.